- 「球陽」という琉球の古い書物に次の記録があります。
- 關忠勇(大見武筑登之親雲上憑武のちに嘉手納親雲上)が薩摩において杉原紙と百田紙の紙漉法を草野五右衛門より伝授されたことが記述されています。
- 『球陽』記康煕25(1686)年には關忠勇が首里金城町に居を構て本格的に製紙を始た事が記述されています
- この記録はさらに続き、琉球における紙の誕生についても記している。
- 「乙亥(きのとる・1695年)、命じて宅地を首里に賜ひ、金城邑大樋側川辺に移居せしめて以て造り紙を為す。我が国の造紙、これにより始まる。
- 「琉球国由来記」および琉球国旧記」というもう一つ書物には同じ人物について、こう記している。
- 「康熙 29年康午(かのえうま・1690年)関氏の大見武筑登之親雲上憑武は杭州に往き煮螺之法を学ぶ3年して帰国これを貝摺主取の神谷親雲上に伝授した。」
- 大見武憑武。唐名を「関忠勇」といい(1703年)に北谷間切嘉手納の地頭職となり「嘉手納親雲上」と名乗る
- 琉球に初めて紙を造る技術と漆芸の技術を「煮螺(しゃら)の法」を伝えた人物が、今回の主人公である彼が伝えた百田紙は王府の公用文書類の用紙として使われたといい、また煮螺の法は、「螺鈿」の技法を完成させたという。近世琉球の工芸史を切り開いたパイオニアの一人が憑武であったということだ
- ※資料は琉球のパイオニア 浪漫は海を越えて、から抜粋
長年 門中の皆さまが待ち望んでいました家譜が実行委員の皆さま方の努力により2000年に完成しました、それから10年経過しあの頃の子供たちが成人式を迎えた家族もいると思います。こでから門中、家族のルーツの絆が大事になって来ると思います、門中会に若い方々の参加によって2010年度版の家譜が皆さま方の奮闘により今回ここに完成を見ました。下記の表紙の写真は「2000年度版・2010年度版」です、実行委員の皆さまご苦労様でした。
お知らせ(家系図完成・2010年度版))topics
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- 門中会/模合・03/23(土)18時場所:毎月第4土曜日(むら家)
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